今日は、叔母のきよのさんの家に遊びに来た。
昼餉(ひるげ)は冷や汁だというので、僕も手伝うことになった。
焼いた川魚とごまと味噌をすり合わせて、冷たい井戸水でのばして、麦飯にかける。
夏はこれが一番うまい。
「そこのあたり鉢を取ってちょうだい」
あたり鉢……。
言われるまま渡したけれど、あれはどう見ても、すり鉢だ。
聞いてみたら、験を担ぐ人は「する」を嫌って言い換えるんだって。
金をする、財布をする、に通じてしまうから。
するめをあたりめと呼ぶのも、同じ理由らしい。
梨を「ありの実」と呼ぶのも、無しでは困るからだそうだ。
言葉を変えたって、鉢は鉢のままなのにな。
そう思ったけれど、きよのさんは至極まじめな顔でごまをすっていた。
いや、……あたっていた、かな。
気になって調べてみたら、ずいぶん昔から、
この国の言葉には力が宿ると信じられていたらしい。
万葉の歌に「言霊の幸はふ(さきわう)国」と詠まれていて、
言葉の力で幸せになる国、という意味なんだって。
逆に、乱れた言葉は災いを呼ぶとも言われていたそうだ。
……それは、他人事じゃないと思った。
僕の術は、名を書き、そしてその名を呼ぶ。
それだけで、姿のない存在がこちらに繋ぎ止められる。
言い間違えたらどうなるんだろうとか、考えたことがないわけじゃないんだ。
夕方、縁側で考えていたら、狼姿のシュマリがそばに来たので、その話をしてみた。
僕が名を付けるときは、字の意味と、その者が果たす役割、
それから呼んだときの響きを、いつも突き合わせて決めている。
どれかひとつでもずれると、連綿の契約はうまく成立しない。
「もし僕がシュマリの読みを変えて呼んだら、シュマリの役割まで変わってしまうのかな」
「変わるとしたら、僕じゃなくて理玄の方だろうね」
「僕が?」
「呼び方を変えたのは、おまえさんの方だからさ。
変わるのはたぶん、おまえさんの心づもりの方だよ」
うーん…それじゃあ試しに変えてみようか、と思って呼んでみた。
「ねぇ、シュマ」
「んー?」
「呼んでみただけ」
「そっか」
シュマリはそっぽを向いたまま、鼻づらをぺろりと舐めてたり、
しっぽの先だけが小さく揺れたりしてた。
何だかソワソワしていないか?
今度はまた違う呼び方も試してみるかな。
理玄 🎋
x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x=x
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